日本の城跡
下津井城
略史 備前国の戦国大名、宇喜多秀家が内海の要衝として既存の小城を大改修して出城にした。関ヶ原の役後、秀家に代って備前国に入った小早川秀秋は内海の制海権を重視して当城を強化、重臣の平岡重定を置いた。しかし秀秋が病死し小早川家が断絶した為、備前国に池田忠雄が入封、一族で家老の池田長政が入城した。池田氏は徳川家康の命を受け、下津井城を西国大名に対する内海の戦略拠点として大改修し、近世城郭を完成させた。その後も池田由元、荒尾成利など重臣が一国一城令後も城主を務めた。その後岡山城主池田光仲と鳥取城主池田光政の国替えがあったが、下津井城主には光政の一族で家老の池田由成が入城した。しかし徳川幕府の安定化に伴い、1639年に幕府の命により廃城となった。由成は近くの天城に陣屋を構えて移った。 |
下津井古城付近よりの遠望 |
二の丸石垣・帯郭・大手付近 |
二の丸・三の丸石垣・帯郭 |
二の丸石塁 |
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二の丸から三の丸方面 |
二の丸 |
同 |
同 |
本丸腰郭 |
本丸虎口 |
同石垣 |
本丸 |
同 |
本丸天守台 |
同 |
反対側の本丸虎口 |
二の丸・石垣 |
同 |
同 |
同・大手口方面 |
同 |
大手・枡形虎口 |
同・石垣 |
西の丸に繋がる土橋 |
土橋・二の丸方面へ |
土橋の石垣 |
土橋両側の空堀 |
同・石垣 |
西の丸 |
同 |
散らばる石 |
矢穴のある石 |
西の丸石垣 |
西の丸石垣跡 |
西の丸下の馬場 |
同 |
西の丸虎口 |
西の丸 |
同 |
同 |
同 |
同 |
同 |
三の丸虎口・石垣 |
三の丸 |
三の丸と中出丸間の堀切 |
同 |
同 |
中出丸下 |
中出丸 |
同 |
同 |
同 |
同から鷲羽山ハイランド方面 |
瀬戸大橋 |
二の丸帯郭の石塁 |
二の丸折れ部分の石垣 |
同の石垣 |
同・大手付近 |
同 |
同 |
同の藪に埋もれた石垣 |
同の石垣 |
ネット下の石垣 |
帯郭 |
同 |
古城付近からの遠望 |
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