日本の城跡
津山城(別称:鶴山城)
略史 室町中期、美作守護山名教清が一族の山名忠政に、現在の津山城がある丘陵に鶴山城を築城させた。応仁の乱で山名氏は衰退し、のちに廃城となった。関ヶ原の役後、小早川秀秋が領していたが、嗣子続かづ断絶。替って森蘭丸の弟、森忠政が松代から美作一国を領して入封立藩し、鶴山に五層の天守を頂く新城(津山城)を13年の歳月をかけ築城するとともに、城下町の整備、検地実施で藩政を固めた。しかし五代衆利が相続の為江戸に出向く途上で死去、森氏は断絶となった。その後越前松平宣富が高田藩から入封、九代続いて明治を迎えた。その間農民一揆の勃発や、嗣子なく絶家の危機から領地は半減(将軍家から養子で復元)するなど苦しんだ。康哉の時農村復興・勧農所の設置等の藩政改革を実施、更に藩校を設立、蘭学の振興に努めた。幕末、保守派が台頭し、二度の長州征伐に出兵したが、その後近隣の尊王倒幕派に態度を迫られ、戊辰時は新政府側に属し、伏見城を守った。 |
吉井川越しの遠望 |
同 |
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登城口 |
前方が三の丸石垣 |
振り返る |
三の丸高石垣・手前に石垣用に切り出されたが谷川に忘れ去られていた石 |
同・桜の馬場段 |
同 |
同 |
森忠政像 |
冠木門跡 |
三の丸東曲輪・塩焔拵所跡・藩校跡へ |
表門石垣 |
表門跡 |
同 |
同石垣 |
三の丸と二の丸石垣 |
三の丸・長屋門跡・藩校跡・塩焔拵所跡 |
三の丸・藩校跡・塩焔拵所跡・見付櫓台 |
三の丸 |
二の丸への表中門 |
同・二の丸石垣 |
同・見付櫓台 |
同・二の丸東曲輪・見付櫓台 |
同石垣 |
同枡形から振り返る |
二の丸四足門跡 |
二の丸・右に備中櫓 |
二の丸・左は本丸石垣 |
切手門跡へ、右は弓櫓台 |
切手門跡 |
同 |
更にかぎ型に登る・左は使者櫓台 |
弓櫓跡 |
かぎ型に登る・右は辰己櫓台 |
同上 |
包櫓台と十四番門跡 |
同 |
城の東側・宮川 |
同 |
使者櫓・到来櫓台 |
表鉄門跡 |
同 |
同石垣 |
同 |
同を本丸内部から |
同付近から市内を |
本丸 |
同・大井戸跡 |
同 |
同 |
同・備中櫓 |
天守方面 |
墓所・天守曲輪石垣 |
長櫓台 |
八番門跡(正門) |
天守曲輪・天守台 |
長櫓台と八番門跡を内側から |
同を上から |
天守曲輪の外側石垣 |
肘櫓台 |
同 |
天守台 |
同 |
同・多聞櫓跡 |
多聞櫓跡 |
天守台・多聞櫓台 |
備中櫓・本丸石垣 |
前方に五番門跡 |
天守台周辺石垣 |
同 |
同 |
天守曲輪石垣の合坂 |
同 |
備中櫓・多聞櫓台 |
天守台入口 |
同穴蔵 |
天守台石垣 |
穴藏を上から見る |
長屋櫓台 |
大戸櫓台と右は粟積櫓台 |
粟積櫓台から薬研堀を |
同から二の丸北曲輪の道明寺櫓跡・天守台方面 |
同、手前左は長屋櫓台跡 |
同から桜門跡 |
同から北方面 |
同から東側月見櫓台隣の十二番門跡 |
同から月櫓台を |
月見櫓台下の十一番門跡 |
同 |
本丸から粟積櫓台・月見櫓台方面 |
月見櫓台石垣の合坂(階段) |
同に続く本丸石垣・合坂 |
同の太鼓櫓跡方面 |
同太鼓櫓台石垣・虎口 |
同太鼓櫓台(現鐘楼) |
本丸北西の裏切手門跡 |
同下から |
裏鉄門跡 |
同石垣・麦櫓跡 |
涼櫓台石垣の排水溝 |
十三番門跡 |
降りる |
裏中門跡 |
階段途中から十三番門跡方面 |
裏中門跡 |
二の丸北曲輪・荒和布櫓台 |
同の干飯櫓台 |
同の裏下門跡 |
同から裏中門跡・小姓櫓台 |
同から荒和布櫓台・大戸櫓台・長屋櫓台 |
西側二の丸格子門跡 |
同振り返る |
天守曲輪石垣 |
同付近から裏下門跡方面 |
天守曲輪石垣 |
二の丸長柄櫓・昇櫓跡 |
三の丸石垣・土塁 |
同の常夜灯 |
宮川沿い東大番所跡 |
同から津山城 |
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作州東屋敷(寅さん撮影現場) |
同 |
箕作阮甫旧宅 |
出雲街道沿いの旧商家 |
同 |