日本の城跡
福原京の道(1.兵庫津の道)
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略史 出家して「入道大相国」と呼ばれた平清盛は、摂津の福原に別荘を構え遁世生活に入った。以後、清盛は私財を投じて大輪田泊を改築して日宋貿易の拠点とし、後白河法皇を招いて千僧供養を行うなど、福原を拠点に政治や貿易に介入した。こうして大輪田泊は日本屈指の貿易港に発展している。1180年、清盛は突如、安徳天皇をはじめ高倉上皇、後白河法皇、中宮徳子や平氏一門、公卿、殿上人を伴い、福原に向った。(福原遷都) 清盛は上皇や貴族、一門が反対する中、私邸を天皇の内裏として提供し、公卿たちにも宅地を与えて邸宅の造成を進めるなど遷都の既成事実化を図った。しかしこの大事業も、伊豆で勃発した源頼朝の反乱や、それに続く全国的な内乱の発生により頓挫、清盛は京への遷都を命じている。 |