日本の城跡

福原京の道(1.兵庫津の道)

訪問日 H30年 3月
ポイント 1.和田神社:神代の昔、蛭子大神が淡路から和田岬に上陸したと言われ、1173年清盛がこの地に安芸の宮島から市杵嶋姫大神を勧請した。海の守り神として崇敬されている。  2.薬仙寺:746年、行基が開山。後醍醐天皇が配流先の隠岐を脱出し、福厳寺に身を寄せた折、薬水を献上したことから、薬仙寺の名を。構内には清盛が後白河法皇を幽閉した、萱の御所跡がある。
3.清盛橋
4.清盛塚:1286年に建てられた、石造十三重塔の清盛の供養塔。大正時代には清盛講が設けられ、毎年盛大に供養を行っていた。
5.厳島神社:清盛が福原京造営時に勧請した厳島神社七社の一社。元宇治川尻左岸にあったが、堺町通り6丁目を経て、戦後現在地に遷座している。
印象 清盛は大輪田泊の整備・拡充など貿易港としての神戸の発展に寄与、神戸の人に大切にされているようだ。今後もタイミングをみて、神戸を廻ってみたい。

略史  出家して「入道大相国」と呼ばれた平清盛は、摂津の福原に別荘を構え遁世生活に入った。以後、清盛は私財を投じて大輪田泊を改築して日宋貿易の拠点とし、後白河法皇を招いて千僧供養を行うなど、福原を拠点に政治や貿易に介入した。こうして大輪田泊は日本屈指の貿易港に発展している。1180年、清盛は突如、安徳天皇をはじめ高倉上皇、後白河法皇、中宮徳子や平氏一門、公卿、殿上人を伴い、福原に向った。(福原遷都) 清盛は上皇や貴族、一門が反対する中、私邸を天皇の内裏として提供し、公卿たちにも宅地を与えて邸宅の造成を進めるなど遷都の既成事実化を図った。しかしこの大事業も、伊豆で勃発した源頼朝の反乱や、それに続く全国的な内乱の発生により頓挫、清盛は京への遷都を命じている。

和田神社

薬仙寺内の萱の御所跡碑

薬仙寺

清盛橋

兵庫運河

清盛塚

厳島神社