日本の城跡
船上城(別称:明石古城)
略史 キリシタン大名の高槻城主高山右近は石山本願寺合戦や長篠合戦、山崎合戦に従軍し、しばしば軍功を挙げた。更に柴田勝家との戦いでも、羽柴秀吉の臣下で忠勤を励んだ為、明石地方6万石の領主に封ぜられ船上に築城した。右近はキリシタン伝道の近畿における中心地にしようとしたが、九州征伐から凱旋の陣中で突如として発せられた秀吉の禁教令によって右近は追放、船上のキリシタン教会等は破壊された。船上は秀吉の直轄領となったが、関ケ原後、播磨の太守となった池田輝政の家老、池田由之に与えられた。大阪役の軍功で小笠原忠真が入部し、幕府の命で新しい明石城を築き移った。このとき船上城の石垣などが取り壊され明石城の資材に転用された。 |