日本の城跡
兵庫城(別称:池田城)
略史 池田恒興は花隈城を落とした功により、織田信長より兵庫の地を与えられた。1581年、恒興は花隈城の資材の一部を利用してこの地に天守閣を備えた城を築いた。しかし2年後、恒興は大垣に転封、豊臣秀吉の直轄地となり、片桐勝元が代官として入城し、呼称も片桐陣屋と称された。この兵庫津は朝鮮使節が12回来日した内の11回寄港した、瀬戸内の重要寄港地であった。そして大阪城落城後、この地一帯は尼崎藩領に組み込まれ、城址には陣屋(兵庫津奉行所)が置かれた。1769年、上知令により幕府の天領となり、勤番所が設けられて、大阪谷町代官支配となった。明治に入り、勤番所が兵庫鎮台、兵庫裁判所、そして兵庫県庁となり、初代知事に伊藤博文が着任している。 |