日本の城跡

小野陣屋

遠望・手前に雁又上の池を埋め立てた公園
訪問日 H24年 1月
ポイント 陣屋は丘陵の先端部に築かれ、東西と南の三方が崖になっており、東側に三つの大きな池があり、堀の役目を果たした。後ろ堅固の立地である。
印象 神戸電鉄でえんえんと山間部に入っていく。途中、山に入ったと思ったら、急に視界が開け大住宅地が出現するといった感じ。山が多い中国地方の特色か。駅近くに陣屋跡があるが、ここも開発整備が進んで綺麗になっているが、陣屋の趣が損なわれている。小野小・高校周辺が跡地、反対側は崖地で結構きびしい。堀の役目を果たした大きな池は溜池として一部残っていた。
地図
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略史  江戸初期、一柳直盛は念願かなって、伊勢神戸から故地である伊予西条6,8万石に転封となった。しかし直盛は赴任途上で大阪で病没してしまった。その為遺領は、嫡男直重が伊予西条3万石、次男の直家に伊予川之江・播磨加東郡で2、8万石、三男直頼が伊予小松1万石に分領された。その後、播磨加東郡小野に出張陣屋として采地陣屋を構えていた直家は臨終に際し、但馬出石藩の小出氏の次男直次を婿に迎え、跡目相続を願い出た。しかし、許可前に没した為伊予川之江領は没収、加東郡1万石のみ相続が許され、この小野ヶ原の丘陵に陣屋を構えた。その後小野一柳氏は伊予西条藩が改易絶家になった為宗家となり、11代230年あまり在封して明治を迎えている。5代末栄は財政再建に成功した名君と言われた。
  跡に建つ小野小正門(四脚門) 陣屋跡の碑 一柳家の氏神・磐代神社 跡に建つ小野小
好古館横 小野小 土塁 雁又中の池 雁又西の池
同池から陣屋跡方向 藩校跡に建つ小野高 好古館での仏像・雛人形展示会