日本の城跡
上赤坂城(小根田城・桐山城・楠木本城)
略史 楠木正成は後醍醐天皇の挙兵に呼応して下赤坂城で挙兵したが、鎌倉幕府の大軍の攻撃で持ちこたえられず、火を放って金剛山中に退去した。正成は再挙に際して詰城の千早城と共に上赤坂城を整備し、平野将監を大将に、楠木正季を副将として守らせた。しかし鎌倉幕府軍が再び大挙して押し寄せ、城兵わずか300余人の当城に襲い掛かった。強襲に失敗した幕府軍は包囲戦法を取り、水路を断ち、正面攻撃と合せて別働隊が猫路砦など搦め手から攻め立てた為、守将平野将監も施す術もなく落城、戦いは千早城に移った。 |