日本の城跡
安土城
略史 戦国末期、尾張・美濃・伊勢・越前・近江などを制圧した織田信長は、これまでの岐阜城から京都に近く、北陸・伊勢に睨みをきかせ、更に大阪につらなる琵琶湖の水路を扼する安土に「天下布武」を旗じるしに新城を築城した。ここは近江守護職佐々木六角氏の観音寺城と山続きで、同氏の被官である目賀田氏の居城があったが立ち退かせたもの。丹羽長秀を総奉行として工事を始めた。3年後竣工した天守閣に信長は移住したが、壮麗を極めた天守は五重とも七重ともいわれ、その美しさは宣教師によりヨーロッパにも紹介されている。本能寺の変で信長が明智光秀に殺されると、安土城は明智光満が一旦占拠したが追われ、代って織田信雄が入城した。しかしこの混乱時に城下・城郭に火が放たれて天下の名城も3年で焼失した。その後豊臣秀吉次いで織田信雄が入城したが、信雄は小牧・長久手の戦いで秀吉に敗れ失脚、秀吉は近江八幡に新城を築城し安土城は廃城に。 |
以下H31年2月再訪分。安土町にある彦根神社。 |
同、井伊氏が祈願したのち軍功を挙げた為、彦根城と称した |
百々橋口 |
麓の家臣屋敷跡 |
同 |
同 |
大手口 |
家臣屋敷跡 |
同 |
大手道 |
転用石仏 |
前田利家宅跡 |
同 |
羽柴秀吉宅跡 |
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同 |
徳川家康宅跡 |
大手道 |
同 |
同 |
大手道を振り返る |
大手道 |
同、武井氏宅跡 |
振り返る |
織田信忠宅跡 |
同 |
そう見寺道へ |
本丸へ |
黒金門跡へ |
織田信澄宅・森蘭丸宅跡 |
黒金門跡 | 同・枡形 |
同 |
同 |
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長谷川邸宅 |
同 |
二の丸石垣 |
更に枡形の曲輪 |
同を振り返る |
二の丸腰曲輪へ |
曲輪にある仏足石 |
同 |
二の丸へ |
二の丸から曲輪を |
二の丸 |
信長廟 |
天守台から信長廟 |
信雄4代供養塔 |
蛇石 |
二の丸からの天守台石垣 |
二の丸から本丸虎口 |
同を本丸より(右が天守台石垣) |
本丸 |
本丸石垣、天守への取り付け |
同 |
天守へ |
天守虎口 |
天守台礎石 |
同 |
天守台石垣 |
天守台より琵琶湖方面 |
八角平方面(通行止め) |
三の丸方面 |
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本丸北虎口(通行止め) |
本丸石垣 |
安土城遠望 | ||