日本の城跡
敏満寺城
城碑
訪問日
H16年 3月
ポイント
寺院が要塞化したもので、近江では湖東三山の西明寺・百済寺がある。在地豪族久徳氏の支城の役割をもっていたのでは。
印象
名神高速道路の多賀サービスエリア上り線の一画にある珍しい城跡。土塁・虎口・櫓台などが残されているが、なんで少しでも道路をずらさなかったのか?
地図
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略史 敏満寺は天台宗の寺院で、中世には湖東一大寺院となった為、近江を支配していた佐々木六角・京極氏と対立し寺院が要塞化していった。戦国期、浅井長政の攻撃を受けた久徳城主・久徳実時に味方した為、長政に攻められ寺は焼失した。更に織田信長の命に従わなかったことから、寺領を取り上げられた。
曲輪・土塁
櫓台
空堀・土塁
周囲