日本の城跡
黒川氏城
略史 黒川氏は近江守護職の六角氏に仕え、久内の時に長享の乱の功により黒川・黒滝を領有た。、以後黒川氏は「甲賀二十一家」と称される甲賀衆に成長、城は玄蕃佐が1558年頃に築城した。1568年、六角義賢・義治父子は足利義昭を擁した織田信長軍に観音寺城を攻略され、六角氏は甲賀に落ち延びた。その後も黒川氏は和田氏や甲賀衆と共に織田軍に徹底抗戦したが、六角氏の滅亡により、甲賀が次第に織田勢力に制圧され、その支配下に組み込まれていった。1585年の豊臣秀吉による紀州攻めに黒川氏は参陣したが、紀伊川堤防修築工事の責任を問われ、黒川を除いた所領を没収され(甲賀破儀)、城は廃城となった。黒川氏は関ケ原の戦いで東軍に属し、戦後甲賀郡内で800石余を賜った。その子盛至の時に咎めを受けて一旦改易されるが、その後旧地を復せられた。 |
遠望 |
大手道・屋敷街 |
同 |
左前方に見張り台? |
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前田家屋敷 |
同 |
辻家屋敷 |
同 |
Ⅴ曲輪切岸・横堀 |
同 |
横堀 |
Ⅴ曲輪虎口 |
土塁・虎口 |
土塁 |
Ⅴ曲輪 |
Ⅵ曲輪 |
同 |
Ⅵ・Ⅶ曲輪間の土塁・中堀 |
同 |
同を振り返る |
中堀 |
Ⅵ曲輪北側土塁
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Ⅵ曲輪の先の北の曲輪 |
同 |
同 |
同 |
堀切 |
Ⅶ曲輪横堀、喰い違い虎口付近 |
同 |
同から北の曲輪方面を見る |
Ⅶ曲輪 |
同からⅥ曲輪方面 |
土塁 |
横堀 |
横堀 |
堀切 |
振り返る |
主郭下の大障壁(切岸) |
Ⅵ・Ⅶ曲輪方面 |
主郭下の虎口(Ⅳ) |
主郭下の土塁・横堀 |
同 |
同 |
同付近から主郭の切岸 |
横堀 |
同 |
主郭下の虎口付近 |
堀底道 |
Ⅴ曲輪虎口 |
同 |
Ⅳ虎口の土塁 |
同付近からの主郭切岸 |
同からⅤ曲輪・虎口 |
C曲輪土塁 |
C曲輪 |
横堀 |
西尾根方面 |
同 |
同 |
腰曲輪 |
同 |
Ⅲ曲輪西側崖 |
同・竪堀 |
Ⅲ曲輪 |
Ⅲ曲輪からⅡ・主郭を見る |
Ⅲ曲輪土塁 |
主郭下横堀 |
Ⅱ曲輪・石塁 |
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同 |
同 |
主郭下横堀 |
大手虎口前に散らばる石塁 |
大手虎口 |
主郭 |
同 |
主郭土塁(雁木) |
同 |
土塁 |
主郭北虎口 |
主郭と南側曲輪間の堀切堀切 |
同 |
同 |
南側曲輪先端の堀切 |
南側曲輪からの主郭切岸 |
Ⅲ曲輪を見る |
横堀 |
横堀 |
土塁 |
鮎川 |
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