日本の城跡

岡山城(別称:水口城)

遠望・山麓に大岡寺
訪問日 H16年 2月、R元年11月
ポイント 岡山城は大岡山と呼ばれる独立丘陵にあり、甲賀最大の山城。東海道の宿駅の一つとして、また中山道が西を走る位置にある軍事、交通の要である。豊臣秀吉はこの城を重視し、秀吉の宿将である中村一氏、増田長盛、長束正家を入城させている。関ヶ原の時、甲賀武士が家康に臣従することを西軍が察知し、関が原に向かう甲賀武士を捕らえ、その妻子を岡山城に人質としてとり、甲賀武士の行動を抑制した。
印象 大岡山という、釜を伏せたような山。麓に白鳳時代建立の大岡寺があり、水口城にあった茶室が移築されている。山頂に登ったが、水口城築城時に建材・石材を持ち去った為、本丸・二の丸・三の丸跡の他は一部の石垣、堀が残るのみ。山頂から水口城、街並みを眺めた。再訪。ツアーに組み込まれていた為登城。城跡ファンに石垣が人気らしく、石垣が3ヶ所発掘されていた。ただ山城の防禦ポイントである堀切の一つが、埋められていたのにはがっかりした。カメラの操作ミスで当城写真が載せられずがっかり。石垣の一部を仲間から借用した。
地図
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略史  ”甲賀破儀”と呼ばれる甲賀武士の改易に伴って豊臣秀吉の命を受けた中村一氏が築城。中村氏は甲賀武士、滝氏の一族で秀吉に仕え忠勤に励み、岸和田城主となる。その後中村氏は甲賀・蒲生郡に転封され岡山城を築いた。中村氏が府中に転封後、増田長盛、次いで長束正家が入城した。関ヶ原の時、城主長束正家は当初徳川家康への臣従を誓っていたが、正家の弟の家康暗殺計画が露見した為家康から見離され、正家はやむなく西軍に荷担し敗れている。戦後甲賀武士池田備中守が家康の命を受けて城を破却した。
登城口・城碑
石垣
土塁
石仏
本丸・二の丸堀
二の丸方面
堀土手の石塔
本丸
石仏
本丸
虎口
土塁・出丸
遠望
大岡寺

再訪時撮影分