日本の城跡

蓮華寺


勅使門
 訪問日  H27年10月
 ポイント  南北朝期、京都合戦に敗れた六波羅探題北条仲時は、北朝の天子光厳天皇、後伏見上皇、花園上皇を奉じて中山道を下り、番場の宿場に着いた時、南朝方の佐々木道誉に包囲された為やむなく蓮華寺に玉輩を移し力戦したが敗れた。この為仲時以下430余名は蓮華寺本堂前庭で、潔く自刃した。時の三代住職の同阿上人は深く憐みその姓名、仮の法名を過去帳に認め、更に供養の墓碑を建立して冥福を弔っている。また戯曲「瞼の母」で有名な番場忠太郎地蔵尊がある。最近、一向上人が広めた、踊り念仏(踊躍念仏)にちなんでダンス賞(踊躍賞)を創設した。
 印象  鎌刃城の麓。中山道番場の宿にある。元弘のの乱で六波羅探題北条仲時らが自刃した。北朝天皇の関連で勅使門、菊のご紋章が賜っている。寺内には自刃した仲時らの墓、鎌刃城主の墓があった。菊の紋章を見ると、きりっとする。番場の人々に大切にされていることを感じた。
 地図  
地図をクリックすると拡大します

略史  当山は聖徳太子が創建し、法隆寺と称したが1276年に落雷で焼失した。1284年、一向上人が諸国行脚し、民衆に念仏を宣布した。鎌刃城主土肥元頼は一向上人に深く帰依して堂宇を再興し、蓮華寺と改称して一向上人を迎えた。歴代天皇の帰依が厚く、花園天皇から勅願寺院としての勅許を賜り、寺紋として菊の紋を賜った。そして時宗一向派大本山の一大念仏道場として興隆したが、後に浄土宗に帰属して現在は浄土宗本山である。

本堂

鐘楼・勅使門

鎌刃城主墓

北条仲時らの墓