日本の城跡
坂本城
城跡公園から本丸方面
訪問日
H18年 2月
ポイント
比叡山は近江と山城国にまたがり、古代から白鳥道・山中道の二道が盛んに利用された。更に門前町・港町としても繁栄するなど水陸交通の要衝であり、比叡山延暦寺の監視と西近江の警戒と琵琶湖の制海権を手中にすることを目的とした。琵琶湖湖岸に立つ水城で、その豪壮さは安土城に次ぐもの。
印象
来迎寺に坂本城の城門が残る。国道161号線沿いに城跡公園が出来ている。再三の発掘調査で石垣の基礎・礎石等が発見されたが、埋め戻されたり、湖水の中にあり見られないのが残念。本丸跡といわれる東南寺の旧街道沿いに石碑がある。このあたりから湖にかけてあったのだろう。京阪比叡山坂本駅周辺山麓に見られる穴太積み石垣は必見。
地図
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略史 比叡山焼き討ち後信長が湖西南部の支配を命じ、宇佐山城主の明智光秀に築かせたもの。光秀は田中城、石山城始め周辺諸城を落城させ、近江における重要な軍事拠点を確立した。しかし光秀は本能寺で信長を自刃させたが秀吉との合戦に敗れ、坂本城は廃塵にきした。その後丹羽長秀が入城し、柴田勝家との天下取りの戦いでも軍事上の基地となったが、大津城の築城により資材も移され廃城になった。
城跡公園・外郭・船着場石垣
同
同
二の丸から城跡公園方向
来迎寺・移築城門
城碑・本丸跡
城下商家