日本の城跡

宇佐山城(別称:志賀の城・志賀要害)

遠望・手前が近江神宮
訪問日 H19年 2月
ポイント 近江と山城を隔てる比叡山塊の一部に属し、麓から琵琶湖まで1キロ弱と狭く、山頂から湖南一帯が一望できる。森氏は近江から京都に入る幹線道の今道越え・逢坂越えの道を遮断して、当城の下を通る「新路」を造っており、岐阜城を本拠とする信長の京都に入る道の確保を主要築城目的とした。
印象 待望の宇佐山城に挑戦。宇佐八幡宮まで嫌がるタクシー運転手をなだめて凸凹道を上がる。ところがそこから大変。登山道が見つからず苦戦、それでもやっと見つけた小さな案内板と白ヒモを頼りに、野猿に注意しながら登る。そして残っているという石垣を楽しみに登ったが、NHKの電波塔が本丸に建てられた等はっきりした遺構は少なかった。期待と大きくかけ離れショックだったが、ずっと喉に小骨が刺さっているように気になっていた山城を踏破した満足感あり。帰りに宇佐八幡宮の下にある近江神宮に参る。立派な社だ。
地図
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略史  織田信長は越前朝倉氏攻めの帰路、朝倉義景らに相対する為宇佐山山頂に城郭を構え森長可を城代として入城させた。しかし4ヶ月後に浅井・朝倉連合軍が大挙して坂本に侵攻してきた為宇佐山城から討ってでたが討死した。この時、朝倉勢の本陣を比叡山に置いたことが、翌年の叡山焼き討ちにいたっている。森氏の後、明智光秀が入城するが、叡山焼き討ち後坂本を支配する為湖面に築城、当城は廃城となった。
宇佐八幡宮・金殿井
宇佐八幡宮
登城案内
堀切
石垣
堀・石垣
土塁
土塁・石垣
本丸・テレビ塔
土塁
石垣
土塁・石垣
石垣
土塁
登城坂
山麓の近江神宮