日本の城跡

麻田陣屋

公民館前の陣屋碑
訪問日 H19年 2月
ポイント 内堀に囲まれた方形の本丸に御殿などが建ち並び、外堀の内側に家臣の屋敷が囲んでいたようだが、現在は何も遺構はない。駅前の蛍池公民館付近が城地という。
印象 久し振りに阪急宝塚線に乗る。線路が高架になっており景色がまず違った。更に降りて見てびっくりだ。バブルの影響か、駅周辺は綺麗にはなっていたが何故か落ち着かない。蛍池駅前の公民館の前に城碑が建っていたのでようやく分かった。これこそ全く城跡の雰囲気は感じない。城碑が一番悲しんでいるようだ。ただ、表玄関は報恩寺に、西の門は民家に移築されている。
地図
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略史  藩祖木一重は美濃で生れ、最初今川氏真に仕え、のち徳川家康に仕え姉川の合戦で活躍した。その後丹羽長秀に仕え、その死後羽柴秀吉に仕え黄母衣衆に列し麻田に居城した。大阪夏の陣で豊臣方の和議の使者として駿府に下向したが、この間に大阪城が落城した為剃髪、幽居した。だが徳川家康に召抱えられ、伊予・摂津等の一部を与えられ麻田に陣屋を構えて立藩した。次の重兼は英明の誉れ高く、文武を奨励し領民に仁政を施した。また隠元禅師が万福寺を建立する際、奉行として伽藍を完成させた。青木氏は14代、255年にわたり在封した。
公民館・城地