日本の城跡

普門寺城

普門寺・山門
訪問日 H19年 2月
ポイント 普門寺は臨済宗妙心寺派。江戸時代に僧龍渓が入山、方丈、庫裏等を造営し、隆盛を誇った。龍渓が去る時、明の高僧隠元を招き、宇治の黄檗山万福寺に赴くまでの6年間滞在した。その後は専任住職も置かれず、更に明治の廃仏毀釈もあって荒廃した。しかしその後再興され、入母屋造りでこけら葺きと大きな軒の方丈が重要文化財、又要所に石を組んだ枯山水の庭園も国の名勝に指定された。
印象 細川氏が一時幽閉され、城塞したらしい。寺の裏に一部土塁が残っている。寺には予約をしないと入れない為外からのぞいた。ひっそりと、しかし歴史を感じさせるお寺さんだ。近くの本照寺という立派な寺と隣接する三輪神社、この辺まで城域だったらしい。今日も当寺を捜して大分歩いた。
地図
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略史  普門寺は室町時代全盛期に僧説厳が創建。室町時代末期、管領細川晴元は三好長慶に普門寺に幽閉され死去した。更に三好三人衆に擁せられた足利義栄が当寺で将軍宣下を待ち、征夷大将軍に任ぜられた。しかし足利義昭が織田信長に擁せられて入京した為、城塞化した当寺において三人衆らと共に信長との戦いを準備したが病没した。
普門寺・庫裏
同裏の土塁
城域・本照寺
城域・三輪神社