日本の城跡
難波宮
略史 大阪市中央区法円坂町を中心に所在する古代宮殿跡で、前期・後期の2時期の宮殿が存在した。前期難波宮は大化の改新(645年)で、蘇我氏が滅ぼされた後の難波遷都に伴って造営された孝徳朝の難波長柄豐碕宮で、天武朝の朱鳥1(686年)正月に焼失した。遷都は豪族が蕃居する飛鳥から離れること、朝鮮半島の激動に対処するには外交上の適地であった難波が重視されたと思われる。しかし653年に中大兄皇子は孝徳天皇と意見が合わず、大海人皇子らと飛鳥に移った。後期難波宮は聖武朝の726年に造営された奈良時代の宮殿。744年に恭仁京から難波宮が首都と定められたが、翌年再度平城京へと遷都された。 |