日本の城跡
出石城(別称:石城)
略史 関ヶ原の役で有子山城主、小出氏は御家存続の為に吉政は父の岸和田城主秀政と西軍に、弟秀家は東軍に与して戦った。結果、秀家の軍功により出石の本領を安堵され、4年後吉政の嫡男吉英は有子山城を廃して、麓に出石城を新築した。(秀家は役後病没、父秀政死去後、吉政は岸和田城主に)その後吉政の死で吉英が岸和田藩を相続したが、7年後吉英が出石藩に移封となり、出石藩を相続していた弟吉親は園部に移り立藩した。吉英後出石藩は九代100年間続いたが、最後の英及が早世、嗣子続かず出石藩小出氏は断絶した。(園部小出氏は明治まで継承した。)この時藩札の引き換えを拒絶された領民の暴動が発生した。次に岩槻から藤井松平忠周が入封、若年寄となり上田に転封し、上田から仙石政明が入った。仙石氏は八代続いて明治まで在藩したが、七代久利の時におきた後継争いの御家騒動で約半分の三万石に減封された。その後も内紛が絶えず、脱藩した家臣が勤王の生野の変に参加、その鎮圧の出兵と多難な幕末であった。 |
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