日本の城跡
八木土城
(別称:八木古城)
八木城主郭より土城を見る
訪問日
H25年 5月
ポイント
城は細尾根に一直線上に14段の郭が連続し、最頂部に主郭を置いている。途中の郭には土塁や桝形虎口を設けているが、これは八木城の詰城として利用する為の防御施設である。織豊系城郭に見られる技術で、その当時の改修があったものであろう。
印象
土城へは途中まで行ったが、体力と時間の制限で断念。遠望した。とにかく石城からも坂道が続き、侍たちはすごいと感心のみ。
地図
地図をクリックすると拡大します
略史 平安末期に閉伊頼国が築城したとの説あり。その後鎌倉初期に朝倉高清が、幕府より隣国朝倉を与えられ築城した。しかし閉伊氏と領有権を巡って対立し、閉伊氏は滅ぼされ、高清の子の重清が八木荘に入り八木安高を名乗った。八木氏は承久の乱で鎌倉方に与して所領を安堵され、室町時代以降は山名氏の傘下に入り勢威を強めて行った。この頃に八木氏は、同じ尾根の東方に新城(石城)を築いて移ったという。その後城は八木城の詰め城として運命を共にした。
小郭
郭・土塁
遠望