日本の城跡
柏原陣屋
略史 豊臣期に織田信長の弟信包が伊勢安濃津から入封した。信包は秀吉の遺命で秀頼を補佐し、関ヶ原の役では西軍に与したが、戦後幸運にも本領を安堵された。信包の死後に起きた相続争いの危機も乗り切って、信則・信勝と続いたが、信勝は嗣子無く28歳で死去した為、除封され廃藩となった。45年後、一族の織田信休が大和松山から入封して再立藩した。信休は信長の弟信雄の系統で、父信武は松山藩主であったが藩内の対立抗争から老臣を惨殺のうえ自刃した。しかし織田家嫡流の家柄を重んじられ、信休は減封のうえ準国主の格式から並の大名に格下げのうえ移封存続が認められた。織田家は以後明治まで173年に亘り在封した。歴代藩主は信休はじめ、資質英遇な人物が多かったが、慢性的財政の逼迫から度々農民暴動が発生したり、お家騒動が起きたり、藩政は幕末まで不安定であった。最後の藩主信親は鳥羽伏見の戦いで新政府軍に参陣、無事明治期を迎えた。 |