日本の城跡
男山城(別称:八幡城)
略史 平安京以来、京都への関門として重要視され桓武天皇は男山に烽台を設けた。山頂の石清水八幡宮は九州の宇佐八幡宮から八幡宮を勧請したもので、朝廷の守神として、また源氏の氏神として信仰は全国に及んだ。南北朝争乱期には南朝・北朝勢間で争奪の的となり、幾多の合戦が行われた。特に南朝方の興廃を賭けた文和の合戦では、南朝の後村上天皇は男山に陣取って京都の足利義詮の軍勢を破り、北朝の光厳・光明・崇光の三上皇を男山に移した。しかし足利義詮の反撃を受け落城、賀名生に逃れた。 |