日本の城跡

宇治平等院

平等院鳳凰堂
訪問日 H20年 2月他
ポイント 当時の思想は真に「末法」の元年に当っており、貴族は極楽往生を願い、極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を祀る仏堂を盛んに造営した。阿弥陀如来の住する極楽浄土は西方にあると信じられており、池の東岸から、向かい岸(彼岸)の阿弥陀像を拝するように意図されたもの。
印象 三度目か。いつきても見惚れる。鳳凰が飛び立つようなすばらしさだ。国宝の阿弥陀如来坐像・雲中供養菩薩像・壁扉画・金銅鳳凰・梵鐘・天蓋他文化財も多く、日本のまさしく宝だ。日本の木の造りの良さを再確認した。しかし10年程前にマンションが裏手に建ってしまった。何故?
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略史  宇治平等院の地は平安時代初期、光源氏のモデルと言われた左大臣、嵯峨源氏の源融の別荘であったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」になったもの。道長死後、その子関白頼通は宇治殿を寺院に改めた。開山は園城寺長吏、明尊である。創建時の本堂は宇治川岸辺近くにあったが、後に極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立された。平等院には法華堂・多宝塔・五大堂・不動堂がたっていたが、建武の兵火や再三の災害により堂塔は廃絶し、鳳凰堂のみとなった。
宇治川
鳳凰堂
鳳凰