日本の城跡
宇治平等院
略史 宇治平等院の地は平安時代初期、光源氏のモデルと言われた左大臣、嵯峨源氏の源融の別荘であったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」になったもの。道長死後、その子関白頼通は宇治殿を寺院に改めた。開山は園城寺長吏、明尊である。創建時の本堂は宇治川岸辺近くにあったが、後に極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立された。平等院には法華堂・多宝塔・五大堂・不動堂がたっていたが、建武の兵火や再三の災害により堂塔は廃絶し、鳳凰堂のみとなった。 |