日本の城跡
山科本願寺
略史 親鸞の廟所から発した京都東山の大谷本願寺は比叡山により破却された。八世蓮如は、堅田次いで越前吉崎に逃れた。その後蓮如は山科に本願寺再建を着手し、土塁と堀に囲まれた寺内は繁栄していった。次の証如の時に本願寺は一向一揆の先頭に立ち、武力主義に転身していった。一方応仁の乱の荒廃から復興した法華宗も土塁・堀を巡らす他、僧俗の武装に積極的であり、次第に本願寺との対立を深めた。その後法華宗と協力関係にあった細川晴元との対決により、延暦寺宗徒・近江守護・法華一揆らの猛攻にさらされ陥落し、以後一向一揆の本拠地は大阪石山に移った。 |