遠望・手前淀川 |
訪問日 |
H21年 2月 |
ポイント |
天王山山頂にあり、王朝以来の幹線道路である西国街道を眼下に見下ろし、更に水上交通の大動脈である淀川に近い水陸交通の要衝である。淀川対岸の男山城と共に、京都西南方の出入口に当り、南北朝期より度々戦場となった。当城の山麓に斉藤道三の出世話ででる大山崎の油座があり、その油神人は一方では武士団として京都の権力者から度々軍勢を動員されている。 |
印象 |
天王山に登る。秀吉は光秀討伐後当城を天守閣を備えた本拠地とした。山麓の宝積寺一帯に家臣団の住居跡が残る。脇の登城坂から登るも、勾配が急できつい。全山岩山で途中、旗立て松を経由して整備された竹林の中を歩く。酒解神社を抜け更に登るとようやく、天守台のある本丸・二の丸に着いた。途中空堀や石垣跡らしい遺構が残る。帰りに淀川の反対側の男山城を見たが、何故光秀がこの喉もとの両城を占拠しながら、勝竜寺城に下がってしまったか疑問が残った。戦の勝敗はこんな事が決め手になるのだろう。麓の山崎聖天さんから降りる。 |
地図 |
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