日本の城跡

藤原宮


藤原京跡
 訪問日  H26年 4月
 ポイント  東西5,3Km、南北4,8Kmで平城京・平安京をしのぐ古代最大の都。また日本史上最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。都の中央をななめに飛鳥川が流れ、北に耳成山、東に香久山、西に畝傍山の大和三山が望まれる。藤原京時代は短期間であったが、大宝律令が制定され、貨幣も発行された。初めて「日本」という国号を使用したのも藤原京が発した遣唐使である。
 印象  整備中。とにかくだだっ広い。昔の歌によく出てくる、香久山・耳成山・畝傍山が三方に見え、なんとなく古の雰囲気に浸った。とにかく奈良はいい、京都と異なり、広くゆったりしており、今もいにしえ人が歩いていそうだ。
 地図  
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略史  藤原京は中国の都城制を模して造られた日本初の本格的都城。夫の天武天皇の意志を受け継いだ持統天皇が、694年に中央集権国家確立の為飛鳥から新たな都を造営した。以後、持統・文武・元明三代十六年にわたり都として機能した後、都は平城京に移った。

藤原宮跡・畝傍山


藤原宮跡・耳成山


藤原宮跡・天香久山

藤原宮跡朱雀門跡方面


持統天皇の万葉歌碑

  藤原宮跡後ろの醍醐池