日本の城跡
法隆寺・中宮寺
略史 601年、聖徳太子は斑鳩の里に斑鳩宮を造営、607年、聖徳太子と推古天皇は父用明天皇の遺願を継いでここに寺を創建したのが法隆寺である。。670年に伽藍を焼失したが、8世紀初頭に飛鳥様式で中心伽藍が復興され、やがて旧にも増した寺観が整えらたのが西院伽藍である。その後は兵火や火災にはあわず、太子信仰に守られたこともあって、現存する世界最古の木造建築群として今に伝えている。一方、斑鳩宮は荒廃に任せるままになっていたが、奈良時代の高僧行基僧都が、739年頃に太子の菩提を願って宮跡に建立されたのが夢殿で、これを中心とした建築群が東院伽藍である。また中宮寺は聖徳太子の母穴穂部間人皇后の願いによって、太子の斑鳩宮を中央に、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺で、法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺である。中宮寺はその後衰退し、宝物は法隆寺に移され、僅かに草堂一宇を残して菩提半跏像のみとなった。その後も法燈は続いたが、火災が続いたことから法隆寺東院の山内子院に避難、ここに後伏見天皇の皇孫尊智女王が住職となり、、尼門跡斑鳩御所として寺観を整えた。現在の本堂は門跡の一方である有栖川宮の皇女を母とする高松宮妃殿下の発願で、戦後に耐震耐火の御堂を建立した。 |