日本の城跡

法隆寺中宮寺


金堂・五重塔
訪問日 H30年 4月
ポイント 世界最古の木造建築である金堂や五重塔を始めとする飛鳥様式(柱の著しい膨らみ等)を持つ西院の建築群、奈良時代の夢殿、伝法院、平安時代の大講堂、綱封蔵、鎌倉時代の聖霊院、室町時代の南大門など、各時代を代表する錚々たる名建築を擁するだけでなく、食堂・三経院・西室・東室など他では殆んど失われた古代伽藍の構成を今に伝えており大変貴重である。更に建物以外でも、仏教美術品は国宝だけで150点、重要文化財を含めると3104点にもなる世界に誇る遺産群である。
印象 40数年ぶりの訪問。今回は比較的時間が取れたので中宮寺まで見学できた。大陸文化をこなし、日本の風土に合った独特の繊細と優美に満ちた建物・仏像・美術品に感嘆した。沢山の外国人に見てもらい、文化を大切にしてきた日本人を理解してもらいたい。これから千年、二千年残していこう。再訪したい。
地図
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略史  601年、聖徳太子は斑鳩の里に斑鳩宮を造営、607年、聖徳太子と推古天皇は父用明天皇の遺願を継いでここに寺を創建したのが法隆寺である。。670年に伽藍を焼失したが、8世紀初頭に飛鳥様式で中心伽藍が復興され、やがて旧にも増した寺観が整えらたのが西院伽藍である。その後は兵火や火災にはあわず、太子信仰に守られたこともあって、現存する世界最古の木造建築群として今に伝えている。一方、斑鳩宮は荒廃に任せるままになっていたが、奈良時代の高僧行基僧都が、739年頃に太子の菩提を願って宮跡に建立されたのが夢殿で、これを中心とした建築群が東院伽藍である。また中宮寺は聖徳太子の母穴穂部間人皇后の願いによって、太子の斑鳩宮を中央に、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺で、法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺である。中宮寺はその後衰退し、宝物は法隆寺に移され、僅かに草堂一宇を残して菩提半跏像のみとなった。その後も法燈は続いたが、火災が続いたことから法隆寺東院の山内子院に避難、ここに後伏見天皇の皇孫尊智女王が住職となり、、尼門跡斑鳩御所として寺観を整えた。現在の本堂は門跡の一方である有栖川宮の皇女を母とする高松宮妃殿下の発願で、戦後に耐震耐火の御堂を建立した。

参道並木道

南大門

同内側から

西園院・唐門・上土門

西門方面

東門方面

中門修理中

修理前の中門(借用)

金堂・五重塔

五重塔

金堂・修理中の中門

五重塔・回廊

五重塔

大講堂(990年再建)

経同

鐘楼

回廊

金堂軒下

同・龍

同・獅子

上御堂

鏡池

聖霊院

妻室

綱封蔵


東院伽藍・夢殿


舎利殿絵殿

東門から西門通り

中宮寺

同本堂から夢殿

東院伽藍築地塀