日本の城跡

戒重城(別称:開住城・戒重陣屋)


春日神社
 訪問日  H26年 4月
 ポイント  寺川と栗原川が合流する地点に築かれ、四周を堀と土塁で固め、南・東の二辺に塀を巡らし、塀に接して高櫓を設けていた。
 印象  春日神社・西方寺周辺が城跡らしいが、開発で遺構らしきものはない。
 地図  
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略史  戒重城は南北朝期に南朝方の戒重(西村)西阿が築いた六城の内の本城である。戒重氏は戦国時代に越智氏の属する国人で、所領千五百石を領たが、天正八年(1580)に誅伐され、明智光秀が戒重城を接収した。関ヶ原の役の軍功で織田有楽斎は大和に三万石の加増を受けた。元和四年(1618)に有楽斎の四男長政が一万石を分知され、戒重に陣屋を構えた。四代長清の時に大和芝村に陣屋移転を決めたが、財政難で工事が捗らなかった。長清は好学の藩主で、藩校遷喬館を創建するなど学問を修めた。延享二年(1745)、六代頼宣の時に芝村に移転した。

寺川と栗原川の合流点