日本の城跡

西大寺


本堂・東塔基壇
 訪問日  H26年 4月
 ポイント  乱平定の先勝祈願が最大の目的であった為か、本堂・金堂より先に、四天王像を祀る四王堂が先に建立された珍しい寺。壮大な伽藍配置も度重なる災害で、現在は本堂・愛染堂・四王堂等のほか、本堂前に東塔跡の礎石が残るのみである。しかし江戸後期の大規模仏堂建築の本堂・釈迦如来立像・文殊菩薩、四王堂の十一面観音立像・四天王立像、京都御所の近衛公政所御殿を移築した愛染堂・愛染明王坐像など見るべきものが多い。
 印象  時間があったので拝観。東大寺に対する寺名で壮大な伽藍を誇っていたが、今は拝観する人も少ない。本堂・四王堂・愛染堂等が残るのみで規模も縮小している。本堂の前に東塔跡の基壇が残っており迫力あった。仏像など見所も多い。保存維持の為か、幼稚園・駐車場など副業もしているようだ。それにしても再開発で西大寺駅前が一変、古い住宅が無くなっていた。どうなることやらびっくりだ。
 地図  
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略史  奈良時代に孝謙上皇が藤原仲麻呂の乱平定を祈願して金銅四天王像の造立を発願、僧・常騰を開山として建立。西大寺の名は大仏で有名な東大寺に対するものであるが、南都七大寺の一つとして、奈良時代は薬師金堂・弥勒金堂・四王堂・十一面堂・東西の五重の塔等が立ち並ぶ壮大な伽藍とこれらに多数の仏像が安置されていた。しかし平安時代には一時衰退し、更に火災等で多くの堂塔が失われ、興福寺の支配下に入った。鎌倉時代には叡尊によって密教と律宗の根本道場として荒廃した西大寺が復興されたが、室町時代に火災で大変な被害を受け、現在の伽藍のすべては江戸時代以降の再建である。明治に入り西大寺は真言宗から独立し、真言律宗を名乗っている。現在の本尊は釈迦如来である。

東門

東門・塔頭(清浄院)

四王堂

四王門

愛染堂

本堂・東塔基壇

東塔基壇

鐘楼

 本堂前の手水舎・護摩堂

大黒天

塔頭

護摩堂