日本の城跡

芝村陣屋

陣屋・石垣・現織田小学校
訪問日 H20年 2月
ポイント 平城。柳本藩同様、織田家が約250年、明治まで収めた。年貢徴収の便を考え、戒重より藩領の中心にある芝村に陣屋を移築した。女王卑弥呼の墓と見られている、日本最古の前方後円墳、箸墓古墳の近く。
印象 あの有名な箸墓古墳の近くにあり感激。織田小学校とその周辺、160×250m.の範囲。ここも灌漑用池等、水をうまく取り入れて防備している。小学校の石垣は当時のものを整備、土塀の復元している。近隣の慶田寺は織田氏の菩提寺で、山門は陣屋南門を移築。今日も良く歩いた、電車の時刻表との戦いでもあったが。
地図
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略史  織田信長の弟、有楽斎は関が原で徳川家康に与し加増を受けた。大阪夏の陣後、四男長政に分与し、長政は戒重に陣屋を構え立藩した。七代輔宜は予て計画していた芝村に陣屋を移転した。輔宜は幕府の信頼を受け、大和国の幕府領を預かり支配し年貢増徴に努力したが、農民強訴”芝村騒動”が発生した。次の長教の時、預かり地の商人からの収賄事件が発覚、預かり地は召し上げられた。その後も織田氏は明治まで在藩した。
織田小学校
弁天池(堀)方面より陣屋を見る
菩提寺慶田寺に移築された陣屋南門
近隣の箸墓古墳
陣屋周辺より見る箸墓古墳