日本の城跡
橘寺
略史 橘寺の付近に聖徳太子が誕生したとされる場所があり、太子建立七大寺の一つとされる。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わっているが、創建は7世紀第Ⅰ四半期、本格的な造営は7世紀半ば以降であろう。橘寺は皇族・貴族の庇護を受けて、かなり広大な境内地の中に66棟のお堂を抱えて栄えたが、平安期に入り他の南都大寺と同様に衰えた。だが鎌倉期には太子信仰の興隆とともに復興を見せ、平安後期に落雷で焼失した五重塔が、三重塔ながら再建された。しかし室町後期、幕府の管領細川政元の家臣、赤沢朝経による多武峰妙楽寺攻めの際、橘寺の僧が赤沢軍に与した為、多武峰の衆徒によって焼き討ちにされ、ほぼ伽藍全体が灰塵と帰し、廃寺同然に衰えた。その後本格的な伽藍の再建はされなかったが、太子ゆかりの寺として、その後も法灯を守り継いた。そして江戸末期に30年かけて現在見られる堂舎がほぼ再建された。また平成9年には、往生院と聖倉殿が再建されている。 |