日本の城跡
竜田陣屋
略史 豊臣秀吉の家臣、片桐且元は賤ケ嶽の軍功で加増受けて茨木城主となった。その後も豊臣秀吉の下で全国を転戦、秀吉死後、遺児秀頼の補佐役となった。関ヶ原の戦いで家康に証人を差し出したことから、大和に加増受けて竜田に立藩した。その後方向寺鐘銘事件で窮地に陥ったが、大阪冬の陣で徳川方に属した為、山城・大和他に加増受けた。且元死後、相続した孝利も38歳で死亡、嗣子なく絶家の危機に見舞われたが、弟為元が1万石で家名相続を許された。しかし次の為次も若年で死亡し、無嗣絶家の為除封され竜田藩は廃藩に。幕府は過去の功績を惜しんで、為元の次男且昭を寄合旗本に取り立てたが、嗣子無く没し、更に養子とした一族の貞就も若年で死亡した為、ここに名門片桐家は断絶した。 |