日本の城跡
田原本陣屋
略史 文禄四年(1595)に平野長泰は豊臣秀吉から、賤ヶ岳七本槍の軍功として十市郡に五千石を拝領した。長泰は関ヶ原の役では東軍に与して活躍した。しかし領地経営は教行寺にゆだねていた。寛永五年(1628)嫡男長勝が後継となったが、教行寺との関係が悪化、自ら領地経営を行うため薬王寺村に仮陣屋を構え、寛永十二年(1635)に田原本に陣屋を築造した。平野氏は代々、交代寄合の旗本であったが、最後の長裕が明治元年に十市郡内に加増を受け、諸侯に列し田原本藩が立藩した。しかし三年後に廃藩置県を迎えた。 |