日本の城跡
薬師寺
略史 薬師寺は680年、飛鳥の地で天武天皇により発願、697年に持統天皇によって本尊開眼され、文武天皇の時代、698年頃に完成した。710年、平城遷都に伴い現在地に移された。飛鳥の薬師寺は廃寺とはならず、10世紀ころまでお寺として存続した(本薬師寺跡)。奈良の地で移された薬師寺は、興福寺などと同様に国家による一大事業として建築は進められ、739年には「東塔」も完成し、壮大な伽藍を誇った。しかし平安京に遷都後は、奈良にある他の寺同様に勢力を維持することは難しくなっていった。そして973年の火災、南都焼打ち、中世に入り南海地震や暴風による建物の倒壊するなど幾多の災害を受けてきた薬師寺だが、1528年の筒井順興らが関係する兵火では、東塔を除く金堂・講堂などといった主要な仏堂が廃塵に帰してしまった。昭和42年、高田好胤管主が薬師寺白鳳伽藍の復興を発願。失われた堂塔の復興を大悲願とし、写経勧進によって、金堂・西塔・中門・回廊、玄奘三蔵院伽藍そして平成15年に大講堂の復興が実現し、現在も白鳳伽藍の再現を目指している。ただ、移転についてはそのまま移した説と、新しく建立した説が学界でも分かれている。 |