日本の城跡
月隈城(別称:丸山城・永山城)
略史 関ヶ原の役後、日田郡令小川壱岐守が日田に入り、月隈山上に築城し、丸山城と名付けた。大阪夏の陣後、石川忠総が入封し、丸山城を永山城と改めた。その後石川氏は淀城に移り、小笠原氏の預りとなった。1639年、日田は再度幕府直轄地となり、先の城代の小川氏の子が代官として畿内から入り、永山城を廃城し、「永山布政所」が開設され、「日田代官所」が成立した。1665年、細川氏の天領預りとなり、1682年姫路から松平直矩が入封、月隈城に入り山麓に館を築いた。しかし館の完成を待たずに山形に転封、再度天領となり小川氏が入り代官所とした。1767年、代官揖斐政俊の時、西国筋郡代役所に格上げされる。その後最後の代官、窪田鎮勝が佐田秀ら勤王派の志士の襲撃を受けて逃走するまで、九州各地の幕領や各藩の目付けとして威勢を天下に示した。 |