日本の城跡
光岡城
(別称:赤尾城)
空堀
訪問日
H27年11月
ポイント
城は隅丸方形状の単郭式縄張りで、南北140m、東西80mの規模である。曲輪の周囲には高さ2m程の土塁が巡らされ、3ヶ所に櫓台が築かれ、外側には深いところでは10m弱の空堀で固めている。城からは宇佐・中津方面はもとより、周防灘や国東半島が一望できる。
印象
山城だが、車道が整備され助かった。単郭で周囲は土塁と空堀で固められ、特に右側の堀はほぼ10m弱もあり深くびっくりした。更に要所には櫓台、物見台が構築されている。規模は小さいが遺構は良く整備され、想像以上で見応えあった。ただ、ゴルフの練習をしている人がいて、ゆっくり見られず残念だった。
地図
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略史 光岡城は1350年に赤尾種綱が築城、赤尾氏は大蔵氏の一族で、宇佐郡高家郷吉田の地頭で代々大内氏に仕えた。1556年、大友義鎮が豊前に侵攻すると、光岡城主赤尾賢種は大友氏に降り、下毛郡の山田隆朝を討って式部少輔に任じられた。1580年頃、大友氏離れがすすむ豊前で、大内氏に属する土井城主佐野親重や時枝城主時枝鎮継は、法要で一族が集まっていた光岡城を攻め、城主赤尾統秀始め一族郎党・家臣を攻め滅ぼした。城はその後の豊前一揆後、一揆再発を防ぐ為破却された。
遠望
虎口
二重土塁・空堀
同
同
同
同
主郭虎口・土塁
同内部より
主郭
同
同
同・建物跡
土塁・空堀
櫓台
土塁・空堀
土塁
櫓台
櫓台
主郭内神社跡
建物跡
空堀
虎口
虎口に架かる土橋
空堀
空堀
僅かに残る石垣
土塁・空堀
土塁・空堀
土塁・空堀
土塁・空堀
土塁・空堀