日本の城跡

龍王陣屋


陣屋石垣と碑
訪問日 H27年11月
ポイント 陣屋は龍王山の尾根の先端部にある龍王城大手門の西側に築かれ、西と北側は崖となっている。陣屋は周囲を石垣で固め、南に虎口を構えている。龍王陣屋はもともと陣屋として築かれたのではなく、龍王城主の松平重直が城が荒廃していた為、居館として築いたもの。しかし島原藩領になってからは陣屋となった。
印象 龍王城を目指していったが、大手の石垣と龍王山中腹の神社まで登った所で時間が無く城は断念。下山して龍王山裾周辺にある陣屋を見つける。しかし石垣と碑が残るが、他の遺構は見当たらなかった。
地図
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略史  関ヶ原の役後、豊前の国主となった中津城主細川忠興は、3年後弟幸隆に一万石を与えて龍王城主とした。しかし幸隆は在城5年で死去した為、一族の長岡好重・重政父子を城代とした。1632年に細川氏が肥後熊本に転封、摂津三田より松平重直が入封したが、龍王城は荒廃していた為龍王山麓に陣屋(居館)を構築した。1640年、重直は豊後高田に移封となり、龍王は幕府直轄領となった。1669年、丹波福知山から肥前島原へ転封になった松平忠房に当地が与えられ、以後明治まで当地は島原領となった。

陣屋石垣

龍王城大手付近石垣

龍王城中腹の神社

龍王城遠望