日本の城跡
梶谷城(別称:勝谷城)
略史 延久元年(1069)、源 久が摂津国から下向して土着し、梶谷城を築城した。そして定住した武士が松浦氏を名乗り、平氏、源氏に従い一族の多くは地頭・御家人になった。松浦一族は南北朝期以降、近隣領主や一族間の内紛に明け暮れたが、永禄九年(1566)に平戸松浦隆信が総領家の相神浦松浦氏を滅ぼし、戦国大名化を遂げた。この間梶谷城は平安末期に松浦氏の居城となって以降、松浦氏の勢力拡張に伴い本城から支城に転じ、更に戦国期に平戸松浦氏の統一に伴い、また支城になったが絶えず城郭として利用されてきた。豊臣秀吉の大陸への野望で名護屋城築城に伴い、梶谷城は豊臣軍によって近世城郭に修築されたが、徳川時代に入り、一国一城令で廃城となった。更に島原の乱後の幕府の破城によって、特に天守台および本丸西側部分は石垣が原形を留めないほど徹底した破壊にあっている。 |