日本の城跡
吉野ヶ里
略史 紀元前4世紀の弥生時代に吉野ヶ里の丘に集落が形成された。前期に分散して「ムラ」が出来始め、南の方に環濠を持った集落が出現した。中期には集落の発展と共に、防禦を強める為に丘陵地帯を一周する環濠が掘られた。また墳丘墓や甕棺が多く見られるようになった。後期(紀元1〜3世紀)には環濠が更に拡大して二重になるとともに建物が巨大化し、集落は最盛期を迎えた。更に北内郭と南内郭ができ、文化の発展がみられた。そして丘陵の南端付近に広がっていた海岸線は次第に遠ざかった。古墳時代に入り、吉野ヶ里の濠は大量の土器が捨てられ、埋め尽くされてしまい、集落はほぼ消滅した。丘陵は墓地として前方後円墳や周溝墓が築かれた。人々は低湿地を水田に開拓できるようになり、生活の基盤を平野に置くようになった。 |