日本の城跡

江田神社

 
江田神社参道鳥居
主祭神ほか 主祭神は伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、配祀神は伊邪那美尊(いざなみのみこと)。古事記・日本書紀に伊邪那岐尊が黄泉から帰還して「禊」をしたという記述があるが、その場所「筑紫日向小戸橘之檍原」が当地と伝えられる。当社の近くの「みそぎ池」がその場所と言われ、かっては入江であったが、後に開墾され「江田」と称された。当社の周辺には古代の集落跡が多数あり、弥生時代初めの檍遺跡や古墳時代初期の前方後円墳から国内最大の木製墓室・木槨跡が見つかっている。
印象 一見なんの変哲もない、その辺にある神社であるが、よくよく歴史を探ってみると、とてつもない歴史を持った神社で、後でびっくりした。地震の津波で貴重な遺産を持っていかれたとのこと、残念。神社の裏手にある「みそぎ池」は伊邪那岐尊が禊を行った池。そういわれてみると、少し不気味な雰囲気でパワーを感じた。
 
略史  「続日本後記」の837年8月の条や「延喜式」神名帳に日向国宮崎郡に「江田神社」と記載され、式内社に列している。また「和名類聚抄」には宮崎郡に「江田郷」の記載があり、境内から10世紀前後の須恵器も出土したことから、創建当初の位置に現在も鎮座していると思われる。970年には神階が最高位の正一位まで進み、社勢を誇った。中世には那珂郡に属し、京都の「清滝宮勧進神名帳」等に記載され、日向を代表する神社であった。江戸時代には幕府領伊東氏飫肥藩預地であった。しかし1662ねんの外所(とんどころ)地震の大津波によって社殿を失ってからは衰退し、一村落の産土神の扱いになった。津波により貴重な歴史資産が多数失われてしまった。明治になり、県社に列格し、同40年に神饌幣帛料供進神社に指定された。

参道

御神木(楠)

本殿

みそぎ池