日本の城跡
日知屋城
略史 城の詳細は定かではないが、1457年頃、小浪川の合戦後に財部土持氏から伊東祐堯の持城となった。1485年、都於郡城主伊東祐国と弟祐邑は飫肥城の島津氏を攻めたが、祐国は飫肥城の大手門で討死、伊東軍は多くの戦死者をだした為、祐邑は兵を収めて日知屋城に入った。祐邑は宗家の為、豊後の大友氏との提携を図ったが、宗家は祐邑の謀反と疑い、刺客を放って祐邑を殺した。そのことがあって以来、祐邑の怨霊が伊東家にしばしば祟りをなしたと言われた。その後島津氏の所領となったが、豊臣秀吉の九州統一以降は延岡藩領となり、元和の一国一城令で廃城となった。 |