日本の城跡

宮崎神宮

 
参道・鳥居
 
主祭神ほか 主祭神は神武天皇とし、左右の相殿には父のうがやふきあえずのみこと、母のたまよりひめを祀っている。社殿は流れ造りの清楚な建物で、全国的に珍しい狭野杉で造営されている。歴史は古く、「神武天皇宮」、「神武天皇御廟」などと称され、地元では「神武さま」と親しまれている。境内の一角に美々津から神武天皇が東征で出航したという、古代舟形埴輪を再現した古代船「おきよ丸」が展示されている。2005年から神武大祭の御神幸行列を先導している。
印象 最近、神社仏閣が俗化する傾向があるが、宮崎神宮はさすが神武天皇を祭神としているせいか、昔のままにほうき目が美しく残っており、自然豊かな広大な緑の森に囲まれ、清らかで清々しく、凛とした格式と歴史を感じた。
略史  社伝によれば、鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地で、後に九州に下向してきた皇孫の建磐龍命がその縁にちなんで創祀した。崇神天皇の時代に社殿が創建され、景行天皇の熊襲征討の時に重ねて造営、更に応神天皇の時から日向国造の祖、老男命が祀られるになった。ただし文献上の初見は鎌倉時代初めまで降り、当地の地頭職であった土持信綱が現在地に社殿を造営し、皇宮屋(こぐや)から1197年に遷座した記録がある。「神皇正統記」に神武天皇が「日向の宮崎の宮」から東征したと記すように、宮崎に帝都があったとの説も定着、当宮をこれにあてるようになり、歴代領主により深く崇敬され、寄進・奉献された。江戸時代にも延岡藩主が社殿の造営する等厚く保護されたが、何といっても明治維新の王政復古の大号令で「神武創業の始め」に復することが叫ばれ、当宮が脚光を浴びるようになった。そして県社、国幣中社、官幣大社へと累進した。明治40年に全国からの寄付で境内整備を行い、昭和15年の紀元2600年を記念した整備事業で現在の境内が完成した。戦後神社本庁の別表神社となった。

入口

銘木

参道

参道左右の池

一般参拝用の拝殿

正式参拝用の拝殿

おきよ丸

五所稲荷へ