日本の城跡
宮崎神宮
参道・鳥居 |
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略史 社伝によれば、鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地で、後に九州に下向してきた皇孫の建磐龍命がその縁にちなんで創祀した。崇神天皇の時代に社殿が創建され、景行天皇の熊襲征討の時に重ねて造営、更に応神天皇の時から日向国造の祖、老男命が祀られるになった。ただし文献上の初見は鎌倉時代初めまで降り、当地の地頭職であった土持信綱が現在地に社殿を造営し、皇宮屋(こぐや)から1197年に遷座した記録がある。「神皇正統記」に神武天皇が「日向の宮崎の宮」から東征したと記すように、宮崎に帝都があったとの説も定着、当宮をこれにあてるようになり、歴代領主により深く崇敬され、寄進・奉献された。江戸時代にも延岡藩主が社殿の造営する等厚く保護されたが、何といっても明治維新の王政復古の大号令で「神武創業の始め」に復することが叫ばれ、当宮が脚光を浴びるようになった。そして県社、国幣中社、官幣大社へと累進した。明治40年に全国からの寄付で境内整備を行い、昭和15年の紀元2600年を記念した整備事業で現在の境内が完成した。戦後神社本庁の別表神社となった。 |