日本の城跡
穆佐城(別称:六笠城・高城)
略史 南北朝時代、当地は足利尊氏の直轄地となり、城塞が築城された。尊氏の命で日向国守護に任ぜられた畠山直顕は、穆佐城を拠点に南朝方の制圧に努め、大隅国まで勢力を広げた。しかし畠山氏が北朝方に転じた為、南朝方の肥後の菊池氏に攻められ、直顕は日向を去った。室町後期の1403年には島津氏久豊が支配したが、1445年に伊東氏が奪還し、以後約130年間は伊東氏の領地となった。しかし木崎原の戦いで島津氏に大敗した伊東氏は、大友氏を頼って豊後落ちし、日向国は島津氏の支配するところとなった。更に日向侵攻を企てた大友氏との戦いに勝利した島津氏は九州一円に勢力を拡大したが、豊臣秀吉の九州平定で日向の内、伊東氏に飫肥、島津氏に佐土原と諸県郡が与えられ、穆佐城は島津氏の支配となった。江戸期の元和の一国一城令で廃城となったが、去川関外四ヶ郷の一つ、穆佐郷として幕末まで続いた。 |
遠望 |
登城口 |
穆佐護国神社参道 |
堀切 |
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眺望 |
見張り台 |
同 |
同 |
同 |
A地区とB地区間の大堀切 |
同 |
同 |
A地区曲輪の切岸 |
A地区曲輪群に入る |
A地区曲輪間の堀切 |
同 |
A地区縄張り図左側の曲輪へ |
同内の曲輪 |
同 |
同 |
同 |
同 |
同 |
同 |
同 |
同から見たB地区 |
同から見た見張り台 |
同から見た反対側曲輪 |
A地区右側の曲輪へ |
同の曲輪 |
同 |
同・竪堀 |
同 |
同・虎口 |
B地区・坪の城曲輪 |
坪の城曲輪とA地区右側曲輪の切岸 |
大手道と穆佐護国神社 |
坪の城内の島津忠国誕生記念杉 |
同 |
隣接するB地区曲輪 |
B地区曲輪へ |
B地区からのA地区左側曲輪切岸 |
B地区曲輪 |
同曲輪、樹木が伐採され、遺構が分かる |
B地区主郭へ |
同 |
同・土塁 |
同を奥から見る |
発掘中の主郭 |
同 |
同・土塁 |
主郭土塁からC地区方面と間の大堀切 |
その大堀切に行く途中の曲輪 |
大堀切に下る |
主郭切岸 |
C地区曲輪切岸 |
大堀切 |
同 |
同 |
水源 |
D地区曲輪方面 |
C地区、シラス崩れ |
C地区堀切 |
C地区堀切 |
D地区曲輪(砦のような民家)左は堀切 |
D地区曲輪跡 |
地元出身、ビタミンの父、高木兼寛氏の碑があった |
下から見張り台方面 |
下からA地区段郭 |