日本の城跡
佐土原城(別称:鶴松城・田島之城)
略史 城は建武年間(1334年頃)、伊東氏の一族田島休助が、現在地より海寄りの地に築城したが、1427年頃に日向国に勢力を伸ばしてきた宗家の伊東氏が、田島氏を追い入城し、城は現在の場所に移された。そして戦国期、伊東義祐が都於郡城から移って城主となり、伊東48城の要の城として整備された。しかし日向国支配をかけて戦った、木崎原の戦いで島津義久に大敗した伊東氏は、豊後の大友氏を頼って日向を去り、当城には義久の弟、家久が入城し、日向支配の拠点とした。豊臣秀吉の九州平定で、島津氏は敗れて秀吉の傘下となるが、佐土原は家久に安堵された。家久死後、子の豊久が後継となったが、豊久も関ケ原の役で戦死した為、佐土原は一時幕領となった。3年後、島津以久が3万石で入封、薩摩藩の支藩として宗家同様、外城制度をとった。久寿の時、お家騒動があったが、宗家の出兵で収拾した。財政は逼迫し、紙の専売や家臣の知行割引等を実施した。維新時、宗家の討幕運動の先兵として役割を果たし、功を上げた。 |
二の丸・藩庁跡 |
二の丸復元御殿・鶴松館 |
二の丸藩庁跡 |
湿地・池・堀跡 |
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大手道・堀底道 |
同 |
今度は急崖 |
また堀底道 |
同 |
急崖の下に今坂池 |
堀底道 |
今にも堀底道の上から攻撃を受けそう |
堀底道 |
松尾丸への分岐・堀切 |
松尾丸へ |
孟宗竹の林を |
尾根筋を行く |
とにかく行く |
1人では怖い |
堀切か |
そろそろ |
松尾丸に到着 |
同 |
土塁 |
戻る |
同 |
同 |
南ノ城切岸 |
切岸 |
本丸手前の曲輪 |
同・空堀 |
竪堀 |
本丸虎口へ |
同 |
本丸虎口 |
同内部より |
本丸空堀 |
同 |
本丸 |
本丸から天守台方向 |
天守台から本丸方向 |
本丸腰郭 |
天守台(殿司丸) |
同 |
殿司丸空堀 |
本丸下の曲輪 |
搦手口への道 |
南ノ城空堀 |
南ノ城土塁 |
南ノ城虎口 |
同虎口内部より |
南ノ城 |
同 |
同土塁 |
同土塁 |
同急崖 |
東屋がある曲輪方面 |
本丸下の堀切 |
井戸跡 |