日本の城跡
鵜戸神宮
楼門 |
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略史 古代以来の海洋信仰の聖地。社伝によれば本殿に鎮座する岩窟は、豊玉姫が主祭神を生むための産屋を建てた場所で、その縁により崇神天皇の御代に6柱の神を六社権現と称して創祀され、推古天皇の御代に岩窟内に社殿を創建して鵜戸神社と称した。また782年に光喜坊快久という天台僧が桓武天皇の勅命を蒙って別当となり、神殿を再建するとともに、別当寺院を建立し、天皇より「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」の称号を賜った。その後修験道の一大道場として「西の高野」とも呼ばれる両部神道の霊地として栄えた。その後も伊東氏の庇護の下、社殿の建て替え、修復が行われた。明治になり神仏判然令により別当寺院の仁王護国寺を廃し、神宮号が宣下されるとともに、官幣小社に列した。1895年に官幣大社に昇格し、戦後に神社本庁の別表神社となった。 |