日本の城跡
志布志城
略史 平安時代に平季基が鎮西島津荘を開いて以降、日向と大隅の国境の要衝として重視され、早期に山城があったと思われる。鎌倉初期には、救仁院成直が源頼朝から地頭を任ぜられたが、2年後に罷免され、島津忠久に替わった。その後、鎌倉末期には在地土豪の救仁郷氏などが代官をしていた。南北朝期には松尾城は肝付氏、重久氏、楡井氏、新納氏(島津一族)へと替わり、内城を支配していた畠山氏を新納氏と島津氏がこれを追い、島津氏が内城を本拠とした。島津氏は薩摩・大隅・日向の太守に成長した。しかし戦国時代には日向の伊東氏と激戦を繰り広げ、志布志城は新納氏が治めていたが、島津氏内部抗争により、分家の豊洲島津忠朝が志布志城を奪取した。戦国末期には肝付氏の勢力拡張で、一時志布志城は肝付氏が支配したが、島津氏の攻勢で肝付氏は降伏し、城は家臣の鎌田政近が城代として入城した。江戸期の元和の一国一城令で城は廃城になった。このように約400年間、豪族の興亡の歴史があった城である。 |
JR日南線志布志駅 |
遠望 |
登城 |
矢倉場の堀切 |
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内城本丸登城口 |
結構きつい登城坂 |
更に上る |
更に上る |
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堀切 |
シラス特有の崩れ |
本丸周辺の空堀 |
空堀 |
空堀 |
本丸虎口
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本丸下段 |
本丸下段 |
同虎口、内部より |
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同土塁
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本丸上段 |
同土塁 |
同本丸上段 |
本丸絶壁 |
同の三宝荒神、守護神・火の神の社 |
同土塁 |
虎口 |
本丸周辺の空堀 |
同 |
本丸切岸 |
空堀 |
空堀 |
本丸と中野久尾間の大空堀 |
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大空堀 |
大空堀 |
大空堀 |
空堀 |
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空堀 |
堀切 |
空堀 |
空堀 |
空堀 |
中野久尾坂虎口と土塁 |
同 |
中野久尾、中の通路 |
中尾久尾・土塁 |
中野久尾 |
中尾久尾 |
中野久尾土塁 |
次へ |
空堀 |
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同 |
中野久尾切岸 |
空堀 |
空堀 |
空堀 |
切岸 |
中野久尾と大野久尾間の大空堀 |
同大空堀 |
大野久尾虎口 |
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大野久尾 |
同 |
同虎口、前方に大空堀 |
堀切 |
空堀 |
空堀 |
堀切 |
堀切 |
矢倉場
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同櫓台 |
矢倉場切岸 |
志布志麓平山氏 |
同 |
志布志城模型(埋蔵文化財センター)
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