日本の城跡

知覧麓


武家屋敷門
訪問日 H29年12月
ポイント 麓は上郡から中郡に、小路に沿って展開した武家屋敷によって構成されていた。麓の中心は御仮屋(現町役場・裁判所一帯)で、ここから東へ亀甲城の下までの道路を本馬場といい、この地区は上級武士が居住していた。そして城郭的性格から軍事的・防御的機能を持っていた。本馬場は見通しが利かぬよう、少しずつ曲げていたり、十文字に交差する道もない。武家屋敷は武家門・石垣・生垣・目隠しの石垣等があり、中を見通せない堅固な作りで、門の付近は枡形構造である。知覧麓は本馬場を中心に当時の姿を良く残している。
印象 ツアーは亀甲城に行ったが、自分は当時の麓の姿が良く残る武家屋敷街を歩く。本馬場の両側に石垣と生垣と門に守られた屋敷が、残っており素晴しいの一言。門からは屋敷の中は見渡せず、枡形構造になっている。建物は武士の館らしく質素だが、枯山水の庭はかなり凝っていた。観光客が比較的少なかったので、ゆっくり散策することが出来た。亀甲城は遠望のみ。
地図
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略史  江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に「麓」と呼ばれる武家の集落を作り、武士団を分散して統治させた。知覧には島津家の分家である佐多氏が地頭として治めていたが、1610年に佐多忠允が麓を整備した。佐多氏は薩摩藩の中で重要な役割を果たし、その功績で16代久達の時、知覧の私領地化と島津姓の使用が許された。

武家屋敷門


本馬場

微妙に曲げている本馬場

本馬場の両側には石垣・生垣の屋敷街

武家屋敷門

枡形

佐多直忠氏庭園

本馬場

佐多美船氏庭園

武家屋敷門

本馬場


武家屋敷門

森重堅氏庭園

二ツ家


本馬場から一本裏の通り

御仮屋跡碑

亀甲城遠望