水城東門跡 |
訪問日 |
H24年 9月 |
ポイント |
水城は御笠川沿いに築かれた大堤防で、高さ十m強、幅は広い所で三十m、東西千mの平地防塁である。内側に水を漲らせた貯水堤であったようだ。更に堤の外側は勾配がきつく、内側はなだらかな二段構えであった。また二か所に城門をもち、人馬の出入りを規制するなど大規模な城郭なみであった。 |
印象 |
百済救援に派遣した水軍が白村江での戦いで敗れ、大和朝廷が唐・新羅連合軍の侵攻を恐れ、太宰府防衛の為築城。山と山の間を堤防のように土塁を築いた。今はかなり消滅しているが、一部は田園の中に残っていた。高さが十m、長さが一キロにも及んだとのこと。大陸の逆襲を本当に恐れた大和朝廷の姿が浮んだ。 |
地図 |
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