日本の城跡
座喜味城(別称:読谷山城)
略史 座喜味城は15世紀初頭、築城家としても有名な読谷山按司護佐丸によって築かれた。護佐丸は当初、山田城に居城していたが、1416年に中山尚巴志の北山城(今帰仁城)攻略に参戦し、三山統一に貢献した忠臣である。その直後、北山の旧勢力を牽制する為、地の利を考慮して山田城を解体して座喜味に築城した。その後護佐丸は王命により、勝連城主の阿麻和利を牽制する為に中城城に移ったが、阿麻和利の計略で反逆者の疑いを受け自刃した。先の大戦では日本軍の砲台となり、戦後は米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊された。その後城壁の復元が行われ、復帰後に国指定遺跡、そして世界遺産に登録された。 |