日本の城跡

川之江城(別称:仏殿城・土肥城)

本丸・模擬天守
訪問日 H23年 2月
ポイント 川之江は伊予の東玄関口。鷲尾山は金生川の河口に位置し、金生川を遡れば、阿波・土佐に通じ、余木海岸を経て讃岐に通じる等水陸交通の要であった。城郭は本丸・二の丸・三の丸で構成されているが、これは戦国期のものであろう。城山の周囲は急峻である。
印象 城山公園として整備され、模擬天守・櫓門・櫓・石垣等が再建され、きちっとしている為当時のものかと錯覚してしまいそう。この小さい城が枝城の畠山城と共に、その背後の山の先の讃岐を睨んだ境目の城として争乱の中にいた。天守から見る瀬戸内海は絶景。
地図
地図をクリックすると拡大します

略史  室町初期、伊予の太守河野通政が讃岐守護の細川氏の侵攻に備えて川之江に築城を決め、家臣の土肥義昌の命じた。義昌は鷲尾山が海陸の要衝で阿・讃・土に対する防御に適した地として、山頂に比叡山の僧、源信が建てた仏堂を城地に取り入れて築城した。5年後細川頼春が7千騎をもって来襲、城方の奮戦むなしく落城、義昌は敗走した。しかしその後も河野氏と細川氏の境目の城として再三、合戦の舞台となっている。戦国期には讃岐の細川・阿波の三好・土佐の長宗我部氏と伊予の河野氏の間で争奪戦が行われたが、豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景軍に攻め落とされ、以後川之江城は廃城となった。
城碑・土塁 遠望、手前建物は天理教 急峻な城塁 腰郭から瀬戸内 同から本丸方面・当時の石垣が残る
 本丸から港の製紙工場
本丸
模擬隅櫓
模擬櫓門・枡形虎口
  二の丸からの模擬櫓門
同の模擬涼櫓
三の丸
腰郭
  畠山城方面から見る