日本の城跡
丸亀城(別称:亀山城・蓬莱城)
略史 室町時代、讃岐の管領細川頼之の重臣で宇多津聖通寺城主奈良元安が亀山に砦を築いた。戦国時代に長宗我部元親に滅ぼされたが、長宗我部氏も豊臣秀吉四国討伐で降伏、讃岐は秀吉家臣の仙石秀久らに与えられたが失脚、豊臣三中老の生駒親正が入封した。親正は高松城を築城して本拠としたが、西讃の押さえとして亀山に新城築城を開始した。関ヶ原合戦で親正は西軍に、嫡男一正は東軍に分かれた為、戦後一正が讃岐藩主となったが新城も二年後完成し丸亀城と称した。しかし元和の一国一城令でこの丸亀城は廃城となったが、万一に備え土を盛って石垣を隠し、樹木を植えるなどしてカムフラージュしたという。生駒氏のこのような深慮遠謀も四代五十四年でお家騒動の為、出羽矢島一万石へ転封となった。その後讃岐は二分され東讃は松平頼重が、西讃は九州天草から山崎家治が入封した。家治は城の再建に着手し、現在の美しい大石垣をもつ丸亀城の姿が出来あがった。しかし山崎氏も三代十七年で後継続かず改易、播州龍野城から京極高和が入封した。二年後現在の天守が完成、大手門の移転・御殿の建設等一応の修築を終え、城下町の整備、新田の開発に着手した。高朗の時、藩校を増設した他、家臣に団扇製造を奨励、また港を築造し、瀬戸内随一の良港として繁栄した。戊辰時は新政府側に従って行動した。京極氏は七代二百二十年在藩し明治を迎えた。 |
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